任天堂ファン向けの開発者インタビューまとめ

2020年3月11日

ビデオゲーム

t f B! P L

Web上で読める、任天堂の開発者へのインタビュー記事をまとめます。

この記事の前半では、インタビューが数多く読めるところを列挙します。後半ではおすすめのインタビュー記事を個別にいくつか紹介します。

開発職以外の人や、任天堂以外の人が出てきたりもします。古い記事は、スマホからだと読みにくいかもしれません。

関係者の方へ。画像の掲載に問題がある場合、本記事のコメントか筆者Twitter(DM開放しています)へお知らせください。

【この記事は、2020年3月11日より徐々に執筆(段階的に公開)し、3月20日に完成しました】
【2020年4月5日に追記(目次の7.5.1)】


N.O.M(1998〜2012)

[N.O.M バックナンバー]

任天堂公式サイト上で展開されていた「Nintendo Online Magazine」、通称「N.O.M(エヌオーエム)」です。1998年9月号〜2012年8月号まで、月に1回公開されていました。

インタビューは、あったりなかったりまちまちなのですが、今となっては貴重な情報源だと思います。

1号で1本のソフトを取り上げるときもあれば、「ゲームクリエーターになりたいあなたへ(2001年4月号)」とか「ニンテンドーWi-Fiコネクション大特集(2006年6月号)」のような回もあり、内容はバラエティに富んでいました。


樹の上の秘密基地。(1998〜)

[樹の上の秘密基地。トップ]
[樹の上の秘密基地。過去記事]

ほぼ日刊イトイ新聞上で展開されている任天堂系の記事集です。トップページには「Sponsored by Nintendo.」と明記されています。N.O.Mと近い時期に始まり、今のところ最後に更新された記事が2016年です。

開発者インタビューがあったのは主に初期の頃です。特に26回頃の記事まではおすすめです。「社長が訊く」より、なんだか牧歌的で味があります。


社長が訊く(2006〜2015)

[社長が訊く リンク集]

任天堂公式サイト上で展開されていた、岩田社長(当時)によるインタビュー集です。岩田氏が逝去する2015年まで更新がありました。

本来訊かれることが多い社長の立場から開発者に訊く……という物珍しさもあり、当時は公開されるたびに話題になっていたと思います。

基本的には各ソフトに紐づいており、ソフトの発売前に公開されることが多くありました。


仕事を読み解くキーワード(2016?〜)

[仕事を読み解くキーワード 一覧]

任天堂公式サイトの採用情報ページ内の1コーナーです。確か2016年スタートだったと思いますが、確信が持てません(このコーナーの前身のようなものがあった気がします……)。

要はお仕事紹介なのですが、開発者インタビューがなかなかの量読めますので、ここで挙げてみました。開発者以外に、普段スポットが当たりづらい事務系の人の話も読めるのが貴重です。また採用情報ページゆえ、社歴の浅い方が多めです。


NDWアーカイブス(2018〜)

[NDW アーカイブス]

雑誌「ニンテンドードリーム」に載ったインタビュー記事を、Webで読めるものです。

ニンテンドードリームは、任天堂プラットフォームに関する雑誌なので、当然インタビュー記事は任天堂以外の会社の人も多いです。


アンケート集計拳!!(1999〜2000、2001〜2002)

[アンケート集計拳!!(初代)]

初代スマブラ(N64版)の情報ページ『スマブラ拳!!』、スマブラDX(GC版)の情報ページ『速報スマブラ拳!!』で展開されていた、投稿掲載コーナーです。

ユーザーからの投稿メッセージがメインなのですが、それらにスマブラのディレクター桜井政博さんがコメントを付けています。桜井さんは任天堂に所属していたことはありませんが、任天堂に関係の深い開発者ということでご了承ください。インタビューでもないですが、ユーザーからの質問に答えていたりするので……それは無理やりか……

投稿へのコメントはとても面白いです。ゲームの各要素への考え方、何を大切にしているかが垣間見られます。他のゲームソフトに言及するばかりか、時には攻略のアドバイスまで送っていたりするのもユニークです。物量も相当なものがあります。




おすすめの記事

ここからは、個別の記事でおすすめのものを紹介します。

社長が訊く『New スーパーマリオブラザーズ Wii』


岩田 ハシゴをのぼっていくゲームをつくろうとしたのにつくる前にハシゴをはずされてしまったんですか?(笑)

この回の主役は当然、『New スーパーマリオブラザーズ Wii(以下『NewマリオWii』)』です。が、一緒に語られている昔話がとても面白かったので、おすすめします。

[その1]
その1は、マリオの生みの親である宮本茂さん編。前半部分で、主に『ドンキーコング』『マリオブラザーズ』『スーパーマリオブラザーズ(以下『マリオ1』)』の開発秘話があります。後半部分は『NewマリオWii』についてですが、当時議論を呼んだ「おてほんプレイ」実装の経緯などが読めます。

[その2]
当時プログラムを担当した中郷俊彦さん、『スーパーマリオブラザーズ3(以下『マリオ3』)』をディレクションした手塚卓志さんが登場します。主に『マリオ1』、続いて『マリオ3』の開発話。

[その3]
『NewマリオWii』で手を動かしたスタッフ達が登場します。ここは、昔話はほとんどありません。多人数プレイについての話がメインです(本格的な多人数プレイが本編マリオに実装されたのは、今作が初めて)。おてほんプレイの収録苦労話も面白いです。

古いソフトの開発話が面白かった方へ。昔話が読める他の回もいくつか紹介しておきます。


『MOTHER 3』が開発中止になったことについての糸井重里・岩田聡・宮本茂の座談会


宮本 まあ、あのときは糸井さんも私も病気にかかりましたから、3Dであるべきだ、3Dでなくてはならないのだ、って思っていたけれど、いまもう一回、今の自分が「糸井さんが新しい本を書いた」と聞いたとき、そこ(3Dにするか、ということ)すら考えなおしてもいいな、と、ものすごく思いますね。

樹の上の秘密基地より。1994年から開発が始まり、2000年に開発中止発表された『MOTHER3』に関する座談会です。長文です。開発中止に対する説明、感想、反省、謝罪、という感じの内容です。

ゲームソフトが開発中止になる理由、ボツになるまでの経緯が読める貴重な鼎談(ていだん)です。

当時、MOTHER3はニンテンドー64の期待の新作として注目されていました。この開発中止後しばらく間を置いて再度開発がなされ、2006年にGBAで発売に至りました。

[座談会 トップページ]
最後のページには、開発途中のROMからの画像・楽曲が掲載されています。 GBA版は、開発中止版から多くの要素を引き継いだことが分かります。しかしGBA版は2Dのゲームになったため、今見る3DのMOTHER3は新鮮です。



『もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド』開発スタッフインタビュー


工藤:そんなことないですよ。確かに格好は派手だし、香水臭いし、人の話は聞かないし、梅干ばっかり食べてるけど、俺らそんなこと気にしてないですよ。

N.O.Mから。2006年発売のDSソフト、『もぎたてチンクルのばら色ルッピーランド』開発者座談会です。公式サイトはこちらですが、Flashがあるのでスマホからはあまり見られないかも知れません。

このインタビューは相当異色だと思いますので、振り幅という意味でおすすめしてみます。

[インタビュー トップページ]
まるで、各ページが漫才のようになっているかのような。で、任天堂の白川真理さんが非常にキャラ立ちしていて、どうにも、「個性派集団バンプール VS. 日本一怪しいOL白川さん」という構図のように見えます。

白川さんは、翌年の『theta シータ』のインタビュー時のプロフィールでは
秘境と呼ばれる異国の地に1人旅立ち、人としての原点に
戻るのが一番の気分転換。馴染みすぎて某国では村長から
土地と家も譲りうける程。
現実逃避気味で、常に現実と理想の狭間をただよっている。
と紹介されています。……どういう人?

『theta シータ』のインタビューのトップページ。見られない方は、内容1ページ目からどうぞ。ちょっととぼけていますが、こちらは割と普通の開発話です。


社長が訊く『バトル&ゲット! ポケモンタイピング』


山名 ええ、それでつくってお見せすると、(株)ポケモンの方や安藤さんに、「あー、これ、ぜんぜん面白くないですねえ」って、すごいニコニコ笑いながら言われたんです・・・(笑)。

DSソフト『バトル&ゲット! ポケモンタイピング』[公式サイト]は、「ニンテンドー ワイヤレスキーボード」とセットで発売されました。

キーボード篇(ハード開発篇)とソフト篇に別れています。

[キーボード篇]
[ソフト篇]
キーボード篇は、「任天堂が実利のある商品を作るとどうなるか」という観点から面白いと思います。ソフト篇はそれに加え、石原恒和さんが割り切る点・こだわる点の切り分けが興味深いです。

他の「社長が訊く」と比べても、具体的な割り切りや工夫がテンポよく読めるところがおすすめです。個人的には、キーボードを反対にしてプレイする、というのが目から鱗でした。


「ポケモンスナップ」の情報・産地直送!


岩田:あるとき、「今日から完成まで、全員朝10時半に来なさい。来ないものは遅刻だ。」っていうようなことを言ったのね。言いながら、おれはこんなことまで言わなければいけないのかって思って。

樹の上の秘密基地より。1996年、「ジャックの豆の木計画」という、夢のようなゲーム開発者オーディションがありました。この開発者たちは、結果的にN64ソフト『ポケモンスナップ』を完成させることになります。

[「ポケモンスナップ」の情報・産地直送! トップページ]
ジャックの豆の木計画の概要は、その1に書かれています。

しかし、このインタビューのメインはポケモンスナップそのものの情報ではない、と思います。ある種理想のようなゲーム開発のはずが、何度も頓挫しそうになり、チームの空気も悪くなっていく。そんな模様がありありと描かれているのです。樹の上の秘密基地の他の回、あるいは社長が訊くなどと比べても大変異質なインタビューになっています。

私はこの回が、樹の上の秘密基地で最も好きです。開発模様のリアルと、困難な中いかにして開発にこぎつけたのかをぜひ読んでみてください。

ジャックメンバーのその後

【この項のみ、後からの追記です】

ジャックの豆の木メンバーのうち数人は、ハル研究所に入社したようです。

そのうち川瀬滋史(上の記事では「川瀬シゲゾー」)さんは、社長が訊く『星のカービィ Wii』に登場しています。こちらでも難産なプロジェクト(3回潰れた星のカービィ作品)に関わっているところに、妙な因縁を感じます。また川瀬さんは、2018年よりハル研究所の代表取締役社長となっています[ハル研企業情報]

他に、山本正宣さんがN.O.Mの『星のカービィ 参上!ドロッチェ団』開発スタッフインタビュー!社長が訊く『毛糸のカービィ』の後半部分やに登場しています。


ゲームの企画書:任天堂・青沼英二×スクエニ・藤澤仁


青沼氏: 本当に最初から謎解きが「ゼルダ」の本質だったのかは、怪しいと思いませんか。

[ゲームの企画書:任天堂・青沼英二×スクエニ・藤澤仁]

これは、電ファミニコゲーマーというサイトの連載「ゲームの企画書」の回の1つです。宮本茂さんの下でゼルダを作り続けてきた青沼英二さん、堀井雄二さんの下でドラクエを作り続けてきた藤澤仁さんという、似た境遇を持った2人の対談です。長めのインタビューです。

「ゼルダのアタリマエを見直す」というコンセプトのあった『ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド(以下BotW)』は、世界中で極めて高い評価を受けました。そのBotWがいかにして作られたかが読めます。また、他に『時のオカリナ』『ムジュラの仮面』、『ドラクエ』の開発話もあります。どちらかというと、ゼルダで新しい遊びがいかに作られるか? ということがよく分かります。

なお、時のオカリナの方に興味が強い方は、


もぜひお読み下さい。


「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編


川上氏: じゃあ,入院生活の日々は,ビジネス書や科学書を読んで過ごされていたという感じなんですかね。
石原氏: ああ,いや……医学書ですね。

[「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」特別編]

ゲーム情報サイト、4Gamerから。川上量生さんとゲストの対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」の特別編であり、岩田聡さんの追悼回でもあります。

この記事では、技術者としての岩田さんが特によく分かります。経営者としての岩田さんしか知らない方は、ぜひ読んでみて下さい。そのスーパープログラマーぶりがよく分かります。さらに、リーダーとしての側面、そして特徴的な仕草やお菓子の好みといったことも語られています。

ちなみに。技術者らしく解説する岩田さんの姿は、月刊アスキー 2001年9月号 Key personインタビュー「次世代ゲーム機の覇者は、ゲームキューブです」などで確認することができます。


ブログ内検索

月別記事

翻訳(Translate)

メールフォーム(筆者に連絡)

名前

メール *

メッセージ *

QooQ